本号の内容
乱闘についてのお諭し
「ある時、岡山のさる定会にK教祖様がおいでの途中、見るも恐ろしき修羅場を現じておりました。すると教祖様は、ピタと足をお止めになりまして、長いことじっとその様をご覧になりました。この日の御随行はK正三九と言うご親族ですが、見つめたまま動こうとされない教祖様に動揺し、「常日頃、ありがたいお道をお説きになる方が、つまらぬ若者どもの喧嘩沙汰を、いつまでも面白そうにご覧になるとは何ごとぞ。もし知る人がこの様を見たら、外聞にもかかわること」と非難の心が動いたのでした。
普通の弟子と違い、スタッフが考える事は、「外聞に関わる。経営的に困る。」というのは古今東西同じだと、思わず笑ってしまいました。私達も同じような批判をよくいただいたものです。 現在のスタッフとは以心伝心で、考えていることが共鳴するようになり共同創造の「良い循環」ができるようになりました。ありがたいことです。
今回の体験談にもありますように、病気の方のセミナー受講をお断りした時は、「冷たい」とスタッフから言われましたが、(笑い) 一年後に最高のサクセス物語になっていました。 種明かしをしますと、何でも知っている完璧な人間だから成功物語になるというわけではないのです。 頭で考えてやる事は、エゴの戦略で、失望に終わることも多いのですが、無縁の慈悲を実践すると、途中はどう見えようと、最後の最後には成功物語になるに決まっているのです。
さて、無縁の慈悲とは「今・ここ」意識で目撃していることですが、意識の光、神の光を(目を通して)投げかけていると、物事は収まるところに収まっていきます。教祖様はただ面白がって乱闘を見ているのではなく、無縁の慈悲を注ぐことにより、闘争心を持つ人の心に平和をもたらしたのです。この乱闘騒ぎは、教祖様が神様の光を注ぐことで、最後には仲介者が入り、一件落着に終わり、教祖様は講演会に向かいます。
私達のセミナーも、昔はもっと激しいヴィジョン・レヴェルのものでしたが、どんな戦いのドラマも私達が見ていると、怒ったり、泣いたりしているうちに最後は愛と平和になり、収まるところに収まります。 ドラマの下にある闘争心、怒りの感情が無縁の慈悲で見つめられ、消えていくのです。2月のセミナーではフィッシュ・ボウルという形で、BB会員にも練習していただいたので、理解していただくことができたと思います。アイコンタクトも同じ理屈です。相手の人、そして、その場に存在する無縁の慈悲波動が、癒しや、気づきを起こします。
この乱闘騒ぎ後の講演会にてK教祖様は次のようにお話になります。「常づね、腹を立ててはならぬと申すことでありますが、実際腹を立てる事は世にも恐ろしいことでございます。腹を立てなければ喧嘩はできません。一旦の怒りに乗じて、多数が闘争に及ぶと、まことに恐ろしいことであります。
自分が死んでもこれ程つまらぬ、これ程恐ろしい事はありませんが、人を殺しては、なおさら相すまぬこと、しかも人を殺せば、死罪はまぬがれません。 その恐ろしいことが、皆一端の怒りから生ずる・・・と思いますれば、人たるもの、どうしても腹をたててはなりません。何事もありがたい、ありがたい方へと解釈し、いかなる場合にも腹をたててはなりませぬ」。 このように、教祖様が真心込め、力を込めてお説きになったので、一座感に打たれたことでした。
無縁の慈悲から来る 一目、一言、一思考があなたを変える
「今・ここ」意識に入った人の愛を「無縁の慈悲」と仏教では呼びます。この意識に入った人の一目、一言、一思考が周りに変化をもたらします。G師との出会いで分ったのは、「無縁の慈悲」を持つ人の思考すら恩恵をもたらすという事実です。
今から20年前、ハワイにあったG師のアシュラムに行く予定で許可もいただいたのに、G師の紹介者の友人Yさんに誘われ、10日間の瞑想会に京都に行ってしまいました。苦しいばかりの瞑想会で、途中で帰ろうと思っても、田舎で、逃げ出せない。(笑い) 周りも初心者ばかりで、隣人がゴソゴソしていて、瞑想にならない。帰りの電車で苦しみから開放された喜びで、やっと元気になりました。(笑い)
ところが、苦しい瞑想の最中にG師が白檀の香水の臭いと共に、瞑想中の私の元へ来て下さったのです。 かぐわしい香りに暖かい気持ちになれました。 臭いにもサイキックな匂いがあることを知ったのは、この時が初めてでした。 後でわかったのですが、G師の波動に見舞われた瞬間、G師は私達のことを考えていて下さったのです。 後にハワイに訪れると、アシュラムの受付から、「G師があなたたちが着たら、アシュラムの部屋に止めてあげてください」といわれていたのに、どうしてこなかったの」といわれ、あとで、地団駄しました。 師の一思考が私の瞑想を深いものにしてくれたのです。
京都行きを誘った友人がその後告白した事には、「ハワイに行くのが怖くなり、京都に誘った」というではありませんか。皆さん、友人というのはこの程度ですから覚えておいて下さいませよ。恩恵も受けるけど、カルマにも巻き込まれる。(笑い) 5月のセミナーを受講されなかったある人が気にかかり、お話を聴いてみると、「この人達(ダニエル&ますみ)は本気だ。」と怖くなって、逃げたとのことでした。 逃げたと知って、認められる事は、意識が高いといえますが、友人を道ずれにするのは困る。(笑い)
成長し続ける人は孤高になっていくものです。「みんな一緒に」と考えたいでしょうが、先ず自分が、救済され、幸せになることです。そして、菩薩としての力を備えることです。 こればかりは「お先にどうぞ」という遠慮はいりません。私は一時、衆生が全て救われてから、と謙譲の振りをしていたことがありますが、自分が幸福になるのが一番説得力があるのです。
この体験で、何千年の瞑想より、聖賢の一思考のほうが有益である事を理解しました。「無縁の慈悲」は世界の反対側にまで、瞬時にたどり着きます。私はG師のおかげで、神様の光を求め、無縁の慈悲に恋焦がれることになりました。 皆さんがソウルメイトを追いかけるように、私は、神の愛を求めるようになったのです。どうせ中毒するなら、神様に中毒し、恋人を求めるように、「無縁の慈悲」を求めて欲しいものです。これは決して失われない愛、無条件の愛、自給自足の愛、至福感。あなたの中にも眠ったままで、発見されるのを待っています。
無縁の慈悲波動が残っているお寺・仏像
大金持ちになったら、「何にお金を使おうかな?」と夢見た事は誰でもあるでしょう。最近、法然上人と弘法大師の残したお寺と仏様を見て、これこそ価値ある仕事だと思わされました。法然上人も弘法大師空海も「そんな金があったら、貧乏人にあげろ」などと非難を受けたに違いありませんが、お寺や仏像を世界遺産として1000年後に残してくださったのです。
この世における至高の波動が1000年に渡り残っている場所が地上に存在するのは、すごいこと。大聖者の波動が残っている寺院や仏像は、この世で最も天国に近い場所です。「無縁の慈悲」から出た行為は、最大限に恩恵を生む結果になります。お金も掛かったでしょうから、「そのお金で貧乏人を救える」などと、一般衆生には「冷たい」行為のように批判されても、 地球上での神様波動の中継基地を残して入ってくださったのですね。 これらの聖なる中継基地が失われてしまえば、地球は破壊されてしまうでしょう。
タクシーの運転手さんから「私は仏像に興味がないから」と言われた時、どのように説明すれば一般ピープルに波動が分ってもらえるか考えました。私は、仏像に美術史的興味を持っているのではなく、大聖者が残し、そして今でもイキイキと働き続けている無縁の慈悲波動に感動したのです。このような世界的遺産は汚すことなく、聖域として、引き継がれていかねばならないと痛感しました。
無縁の慈悲はお寺や、仏様の彫刻、大仏像というモノに閉じ込められ、モノを通じて1000年も働き続けるのです。偶像崇拝という言葉もありますが、弘法大師や法然上人が残したものは、単なるモノではなかったのです。今でも、モノを通じて法然上人や弘法大師は霊界から働き続けているのです。
人類は、無縁の慈悲波動を発した存在達の膨大なる恩恵を受けています。無縁の慈悲が含まれたお寺や仏像は砂漠の中に存在するオアシス以上の意味を持ちます。 第一の衆生縁の慈悲が貴重なのは、誰でも分かりますが、理解する人が少ない、無縁の慈悲が今かろうじて、世界を救っています。 衆生縁の慈悲では逆立ちしてもできないことが、無縁の慈悲では達成されてしまうのです。世界の平和には、無縁の慈悲を持つ人を増やすことが必要です。この世が聖者で溢れる必要があります。
このような聖域を残してきた宗教団体、信者さん達の篤い心に感動しました。教団が、寺院を建てるのも尤もだと思わされました。何故一部にこの波動が残り、他の聖域にこの波動が残らないのか、これからの研究テーマです。
寺院の建築家、宮大工の想い、お金を出す人の想い、そこで祈る人々の想い、住む人の思い、聖域を守る人の想念、使われる材料、形、その場の風水などにも影響を受けるのは勿論です。インドの裸足の大聖者が、何十年瞑想していたオンボロ部屋には、無縁の慈悲エネルギーが濃厚に溜まっていました。 あのようなオンボロでは、日本だったら、とっくにマンションが、建っているに違いありません 。
弘法大師や法然上人が貴族の出身で、権力者に縁があったのも日本と世界にとって、幸運なことだったと言わねばなりません。お金の掛かった、眼に見える形があったからこそ、文化遺産として残されてきたという事情があります。 無縁の慈悲とは理解されず、美術品、文化財として、残ったのです。 一流の芸術家なら、そのような波動を慈悲と感じなくても、感動する感性は持っているからです。
無縁の慈悲を体現する人に
最初から、真理を求め、SJにやってくる人は少ないと思います。ほとんどの人が、現世利益を求め、男女関係・家族関係の問題、仕事の問題、苦しみをきっかけに真理の道に入るのですから、きっかけは何でもいいと思います。
私達は、幸運にも修行ができる人間に生まれ、しかも、無縁の慈悲を体験できる環境に導かれてきました。このような幸運に恵まれた時に、修行をしなければ、いつまた、チャンスが巡ってくるか分りません。これは「2百万年待っていた」体験だとドミちゃんは言いました。
今回5日間のセミナーに出席し、5日間を至福感の中で過ごした人がいました。私も至福感が頭丁からこぼれて、受講生と一緒に10分間ほど笑いつづけました。これは気が狂ったわけではなく、至福感が爆発した状態なのです。 サンガの最終目標、人類の最終目標は、無縁の慈悲波動を感じられる人になることです。人はあなたの鏡ですから、聖賢の慈悲波動が感じられる事は、自分の中にもそれを発見したということです。 師を鏡とし、先ず自分の身体で感じることができるようになる。それから、無縁の慈悲を常に体現する人になることを目標にしたいものです。
スーフィ教の詩人聖者ルミは言います。「やる気半分では、神の愛をみつけることはできない。人間としてうまれたら、神の愛を得るため、全てを賭けなくてはならない」と。神の愛というと、外から来る愛と勘違いする人がいますが、神の愛とは、「真実の自己」が持つ内なる愛です。真実の自己から沸き起こる無条件の愛、自給自足の至福感です。
至福感に酩酊する受講生にダニエル先生は、「これはそれではない」といいましたが、それはお酒や麻薬に中毒するように中毒してもらいたくないからです。そういう至福感と混同してもらいたくないからです。 幸福感にも様々なレヴェルがあります。 詩人聖者ルミはいいます。 「イエスキリストは神の愛に酔い、 彼のロバは大麦を食べて酔う」と。 これをお読みになる方は、最高の幸福感、至福感を求め、体験していただきたいと願っています。
最高の至福感、神の愛をしれば、セックス中毒やアイスクリーム中毒から抜けられます。 本気で神を求める努力をはじめます。 「神の愛」を知ったら、人間との恋愛は比較になりません。 「冬のソナタ」をみましたが、恋愛のときめきは、第一巻だけ。あとの9巻は苦しみが続くのです。 恋愛の苦しみの方程式はいつの時代も同じです。恋愛ほど、当てにならない愛はありません。人からの愛と認可、異性からの愛を求め、アップ・ダウンを繰り返すのは、内なる至福感を知らないからです。 恋愛は憎しみや失望にいつ変わるかもしれない愛です。 恋愛は、成長したい証拠ですから悪いことではありませんが、 それは途中の学びのプロセスであるということを頭において置いてください。
一方「無縁の慈悲」とは「神の愛」のこと。 真実の自己に確立すれば、永遠に続く愛です。 私達はお酒、恋愛、麻薬やギャンブルに「神の愛」を求めてきましたが、「神の愛」、「無縁の慈悲」に比較したら、なんとお粗末なことか。ハートに喜びのない人生は、無味乾燥 。内なる愛なく生きることは疲労、苦痛、地獄です。「目覚めよ、幻想の愛から!!」 真実の自己の愛を発見してください!!
無縁の慈悲とは、「今・ここ」意識から生まれる愛です。至福感です。この酩酊するような至福感は、空意識から生まれます。これはツーリアの境地といいます。深い睡眠を超えたところにある意識です。実際至福感に集中すると、それはいつも自己の中にあり、失うものではありません。 「無縁の慈悲」を体現し、「無縁の慈悲」に生きることが、人生の目的です。 これが、「内なる神」の発見です。来世に持ち越す必要はありません。このチャンスを逃さず、愛の至福感に確立し、永遠の「無縁の慈悲」に生きるよう、修行(サダナ)を続けましょう。 これからのサンガは、苦しみを一つ乗り越えるごとに、急カーブで至福感を増していくでしょう。
全ての人が無縁の慈悲を体現しますよう!!
地球が聖賢・覚醒者に溢れますよう!!
世界が平和でありますよう!!
Mさんからの手紙 1:誰の人生も嬉しくて、面白くて、楽しいものであってほしい・・
3月1日のマハロで、Aさんの奥さんが亡くなられたことを知りました。その日息子を日光浴させようとベランダに出た瞬間、1羽の大きなカラスが目の前を西の方角に飛び去っていったので、訃報でもあるのかなあ、と思っていたところでした。
昨年の2月のセミナーに、Aさんご夫婦で参加されていました。その時、先生方が私たち夫婦に、皆さんの前でお互いに感謝の言葉を言うという機会をくださいました。私は主人に、「有難う。いつも健康でいてくれて・・」と言った時、しまったと思いました。Aさんご夫婦がいらしたからです。傷つけたかもしれないと思い、直視できず目の端でご夫婦のほうを見ました。ただ静かに私たちを見てくださっているのが見えました。でもここで、しまった、と思うのはおかしい。それじゃあまるで、あなたはそうじゃない、と言っているみたい・・・と思いました。
なぜAさんの奥さんは若くして癌になってしまったのでしょうか。私とAさんの奥さんは同じ筈なのに。私はとても幸せです。「今・ここ」にいればこの世の状況など関係なく幸せですが、やっぱり私は肉体を持つ人間として、Aさんの奥さんにも健康で、恵まれた人生を味わってもらいたかったと思ってしまいます。私の理解が浅いからこんな風に思ってしまうのでしょうか。私が物質の世界に執着しすぎているからなのでしょうか。誰の人生も嬉しくて、面白くて、楽しいものであってほしいと願う今日この頃です。
ますみ先生コメント
人の幸せを祈れるのは、幸せな人だけです。
自分が幸せであること、これが人類への最高の贈り物です。
あなたの幸せ有難う。人の幸せを祈ってあげる人で有難う。
人生には誕生があり、死があります。生まれたばかりの赤ちゃんを抱える人、そして、霊界に生まれ変わろうとしている人を見送る人がいます。
行ったり、来たりのお引越しの目的は何でしょう?
奥様にお会いした数日後、私の肉体に痛みが共鳴して伝わってきました。皮膚がひりひりして痛く、もう、身体全体に廻っていました。数日感じていると、「あと一年」と思い、その時二人は死に直面し、大きく移行する準備ができていると感じました。
ご主人はマントラと祈りに頼りました。マントラだけで、師に繋がり、白い光を発見したのです。そして、11月には5日間のセミナーに出席されました。最後の看取り方を指導させていただきました。後は、ご主人の修行次第で、奥様は、霊界で高く行けます。そして来世は師を持つ両親の処に生まれて来れます。ちょうどお宅のG君や、うちのドミちゃんのように、師を持つ両親の元に生まれて来れます。
天には計画があります。その人の借金と預金を考慮の上、最高の救済方法を取って下さいます。サムサラ(輪廻転生)の実態は、恋人ができて、三角関係。病気が治って、罪を重ねるというものです。富と名誉を達成し、あの世が地獄というのもあります。願望達成のため道を外れる人がいます。一方死に直面し、本質的な理解が起き、カルマからの完全解脱に繋げることもできます。
どちらが幸せなのでしょうか?Aさんのお手紙を拝見し、こういう人こそ本物の求道者になる。これこそ神業である、奇跡であると思いました。癌のような病気で、安らかに霊界に移行できるということは大いなる恩恵です。お二人の真実へのコミットメントの証明です。癌になるカルマが何であれ、カルマの借金を立派に返済し、今生の目的を達成されて霊界に移行されました。
借金を返済した日は喜びの日ではありませんか? 肉体は魂の成長のために使われるべきものですから、私には、最高の成功物語に思えます。ご冥福をお祈りしてください。あなたにもその確信が訪れる事でしょう。
Mさんからの手紙 2:
ますみ先生、ありがとうございます。
先生からのメールを読んで、「Aさんの奥さんはカルマの借金を返済されたんだ。じゃあ、本当に良かったんだ、あ〜良かった〜。」と、ホッとしました。 それだけでなく、確かに人生の見かけの幸・不幸は天の完璧なデザインによってなされているのだと、実感しました。頭の理解では、前から分かっていたつもりだったり、何度も「ああそうだ!!」と実感していることなのですが、これからもきっと、それを繰り返して、少しずつ理解を深めて行きたいと思います。
私事ですが、私の父も癌で、最期は眠るように穏やかに亡くなりました。 癌にはなってしまった父ですが、安らかな死に方だったので、「父も借金を返済できたのかな・・・」とちょっと嬉しくなりました。その時の私は18歳。「なんで私の親ばかりが死ぬのだ」と、運命を呪いました。すると、そのカルマが返ってきたのでしょう。
その後10年以上、男運が最悪になりました(笑)。とまあ、自分にはそんなショボい経験があるので、セミナーでAさん(ご主人)を拝見して、奥さんがそのような苦しい状況であるにもかかわらず、卑屈になったり、ふてくされたり運命を呪ったり、周りに八つ当たりしてネガティブ波動を撒き散らしたりせず、(私は全部やりました!)それだけでもなかなか実行できないことだと思いますが、その上、マントラと祈りで先生方に繋がることができ、白い光を発見され、11月のセミナーでは本当に幸せそうでした!本当に、尊敬いたします。
目の端で捉えたお2人の静かなお姿を思い出し、お2人の真実へのコミットメントの神聖さ、死への準備が出来ていた円熟さを理解しました。Aさんの奥さんのご冥福をお祈りすると同時に、全ては完璧であると確信することができました。
先生、お教えくださって、誠に有難うございました。
そして皆が幸せでありますように!!
ますみ先生再度コメント
幸せな人の罪悪感について一言追加
SJにご縁ができ、男運の悪さを変え、(父親の許しにより運命を変えたのですよ)真実を求める同志と結婚できたあなたは、とても幸せな人。そして、良きカルマを持つ子供の親になれたことも最高のカルマ。
でも幸せで、愛情深い人に限って、「人が苦しんでいるのに、自分ばかり幸福で申し訳ない」などと言います。でも、「罪悪感」は、不幸な人に対して、申し訳ないことなのですよ。 交通事故に会い、ビッコを引いている人にあなたもビッコを引くことが、贈り物になるでしょうか? あなたが悩む事はその人の利益にならないどころか、自分の良きカルマを曇らせ、自分の幸運を消し去ってしまうものなのです。
これは本物の愛情ではありません。人が不幸の時、私はその人に幸せになってもらいたくて、説教垂れます、祈ります。でも、カルマによっては、時期が熟してない時もある。 無理強いしても余計こびりつくだけの時もあるのですね。
そういう時はやることをやって、そして、「このカルマも消えていく。ありがとうございます」といって、自分の幸福に戻る。 私が苦しんでも誰のためにもならない時がある。そういう時は、私の幸福はいつも幸福としてあるのだから、自分の幸福に戻る。
自分の幸福をあきらめて、人に分けてあげられる時もあるのですが、この場合は明らかにそのようなケースではありません。自分の幸福をあきらめるときは、相手の幸福に繋がって、共に、手を取り合って喜べるのでなければ、何にもなりません。自分の幸福を放棄し、相手も苦悩のままでは効率が悪い。(笑)
人には持ってきたカルマ、学ぶべき教訓があります。チャレンジに立ち向かう勇気を褒め称えることがあっても、同情することで、その人を小さく見てはならないのです。身体障害者の中にも偉大な魂を持つ人がいます。自分の思い込みで、可哀相な人と見たり、自分より不幸な人と見ることは人間に対する尊敬になりませんね。
この世界は苦しみの世界。ほとんどの人類が苦しみの中です。自分が幸せになることで、他者を幸せに導ける人になるのが最高の人類愛。あなたや私のような幸せな人々が増えるよう、共に手を取り合って同志を増やしましょう。
次は、Aさんからのメールです。
私の今の最大の関心事は家内が今幸せかどうかと、次の人生で彼女が迷うことなく覚醒に導かれるかどうかでした。できれば私の近くに生まれてきてくれ、私の子供なら最高なのにと思ったりしています。家内とも「そうなら最高なのにね」と生前話し合っていました。彼女が覚醒に導かれるのをこの眼で確かめられないものかと思っていました。そこまで虫の良い話かどうかはわかりませんが、私の精進次第で家内の霊格が上がり、彼女が師を持つ両親の元に生まれてくるということが分かりましたので今後はそれを励みに精進いたします。
ますみ先生コメント
「私にも同じ情報がきていました。数年以内でAさんがサンガと結婚し、奥様がそこに生まれ変わってくるという気がしていたのです。お二人の間で、お約束ができていたなら、文句なし。言うことありません。Aさんと結婚できるサンガは幸せだとおもいます。またまた、家族そろって、真理を求めるサンガの誕生ですね。結婚式はハワイセミナーかな。」
上記のコメントを送付後、Aさんはダニエル先生の個人セッションにあらわれました。ダニエル先生は奥さんが一緒についていらしたのを感じ、「お亡くなりになってどれくらい?」とたずねました。もうこの世を去らなくてはいけないのに、ご主人が気落ちしていらして、あの世へいきずらかったのです。このセッション中に、奥様はマリア様のようなお顔で白い光につつまれながら、成仏されたとダニエル先生からききました。Aさんもそれを感じ、涙を浮かべて喜ばれたそうです。ところが、後で「子供に生まれる話はどうなったのだ?」と懐疑にみちあふれたそうです。
あの時は、「執着を持ったままでは、再婚する女性が可愛そう」とはいえない状態でした。セミナーや個人ワーク外では誤解や混乱をもたらす言葉は避ける様にしていますので、ご理解ください。今は、誰と結婚しようと、誰の生まれ変わりであろうと天にお任せできる状態に移行されつつあるのではと推測しています。覚醒セミナー中、次のポエムを読んで下さいました。コメントは蛇足。波動を感じて御覧なさい。あなたの悲しみも一緒にもっていってくれるでしょう。
5月覚醒セミナーAさんのポエムより:
「玉手箱」
封印した思い出の玉手箱を開けて
飛び出してくる君を待つ僕
君はあの得意の甘ったれの顔で
僕のところに飛び込んでくるの?
君はあの誰にも真似できない嬉しそうな顔で
僕の前で踊るの?
君はあの弾ける笑顔で
僕の前で歌うの?
もう少し眺めていたかったけれど
もう少し触れていたかったけれど
もう少し溶け合っていたかったけれど
君はもう行ってしまうんだね。
でも僕は知っている。君が幸せなこと。
君が幸せならそれでいい。
君にひっついてしまった僕の心を少しずつ剥がして
そこに貼った絆創膏を剥がせるようになったら
たっぷりの潤った愛が僕たち二人を包むだろう。
その愛が周りの人をも包みますように
その愛が地球の全てをも包みますように
その愛が地球に平和をもたらしますように
君の幸せが永遠であることを知っている僕のささやかな願い事。
先生からききました。「感謝は神の心です。感謝し、感謝されあうのは、神と神とが出会うこと。 感謝は私(エゴ)が受け取るのではなく、私の中の神が受け取るのです」。この言葉の深さをしみじみと実感しています。ここ数ヶ月、母や妹、叔母、友人と電話で話した後に皆から「有難う」と言われます。
ただ取り留めのないお話しかしていないのに。でもきっと、私の神と相手の神が深いところで交わり、それが「有難う」という感謝のエネルギーになっているのでしょうね。本当に感謝のエネルギーって素晴らしいです!!
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