サハスラーラ・チャクラの図はサトリジャパンのロゴでもあります。悟りのシンボルでもあります。 頭丁この太陽は、目で見える太陽よりまぶしく、この太陽をみて、一晩眠れなかった人もいます。 夜なのに、昼間かと勘違いした人もいます。 白い光は、宇宙の現象が元来の白い光に戻った体験です。真実の自己は様々な形、光として体験します。
たったの一年で上級瞑想者が体験するような瞑想ですから、大いに喜ぶこと、感謝すべきことで、大変結構です。 しかしながら、師の恩恵による瞑想体験には、問題点もありますので、注意を促しておきたいと思います。
深い瞑想体験も、悟り体験とよばれるものも、瞑想の最終目的ではありません。 このような体験は、修行が順調に進んでいることを示してくれますが、更なる努力に向けての、ご褒美です。あるインド系の瞑想団体には、「何の体験も無いのですが」といいながら20年、30年と瞑想を続けている人がいます。 私たちはこれをとっても立派なことと尊敬しています。「何の体験も無い」のに、瞑想を続ける人は最高に幸運な人々です。こういう人は急がば回れの道を歩んでいるのです。早々に道を達成するでしょう。
瞑想が深くなったら、覚醒意識を使って、エゴのパターンをかえることが大切です。 長所はそのまま、欠点だけ気づいて修整していきます。 瞑想の目的は変革であり、いい体験ではありません。 瞑想の目的は天国を地上にもたらし、この肉体の中で、統合することです。
深い瞑想体験を目標にする事は決して悪いことではありませんが、「いい瞑想体験をしたい」「あれが欲しい」「これが欲しい」と自分、自分、自分のためだけに何千年瞑想していても、エゴ的な唯物主義と同じです。このような求め方をし、失望し、道を諦める人もいます。体験が道だとの誤解です。
どんなに深い瞑想者でも、「こんなはずではない」ということが人生には、おきてきます。 「こんなはずではない」ことを受け入れられる人になることが修行の成果です。 最終目的とは、無私から行為する無為です。 行為の全てが、無私の奉仕になっていくことです。これはカルマ・ヨガといい、24時間を瞑想にすることです。 起こる事を神の意思として信頼してしまうヨガです。 私は神に使われているだけだとエゴの手柄にしないことです。神様に使っていただけることを感謝し、行為の全てを神の名において、人類奉仕に生きることです。これが最高の瞑想です。